今でも時々電車の運転「手」と書かれたマスコミの記事を見ることがありますし、何かの投稿(ヤフコメとか)などにも電車の運転「手」と書かれていたりします。
今の時代、運転「手」でも運転「士」でも別にどちらでも良いのですけど、鉄道に関してはどこの会社でも運転「士」という職種になっています。
なぜ鉄道では運転「手」ではなく運転「士」なのか。
戦前から戦後まもなくまでの鉄道省や戦後発足した国鉄のころの職制が各私鉄でも同じように採用され、結果としていまにも残っているというところでしょうか。
鉄道省や国鉄時代の職制を大まかに分けると「雇員(こいん)」と「傭人(ようにん)」に分けられるのですが、雇員は今でいえば現業の公務員にあたり、各部署の長のもとで働く人という感じでしょうか。
これに対して傭人を辞典で調べると
「私法上の雇用契約に基づいて、国または地方公共団体に勤務し、肉体的な単純労務に従事する者。」
と書かれていて、イメージ的には鉄道省・国鉄という大きな組織に採用されたのではなく、駅などの小さな単位で直接採用されている人というイメージが一番しっくりくるのかな。
そして雇員を「掛職」、傭人を「手職」と分けており、「掛職」には改札掛、出札掛、信号掛などのほか車掌や今でいう運転士(機関士や機関助士)などが含まれています。
そして「手職」は駅手、連結手、踏切警手など、どちらかといえ運輸部門の中の縁の下の力持ち的な仕事を行う人といった感じでしょうか。
ここまでタタールのくにびき -蝦夷前鉄道趣味日誌-を参照させていただきました。
ここからは私が勤務していた会社の話になりますが
私が入社したのは昭和50年代ですのですでに「手」の付く職名はなく、すべてが統合されて「係」や「士」などとなっていました。
このあたりの話は以前にこのブログにも記していますので参考にどうぞ。
ここまででお分かりのように、運転士は「掛職(係職)」であって「手職」ではありません。
なので運転「手」とは呼ばずに運転「士」なのです。
私は元々それほど鉄道に興味がなく入社したので、入社直後の駅勤務時代に運転「手」と呼んでかなり年配の助役にこっぴどく怒られたことがあります。
何があっても「手」と呼んではいけない!きちんと「士」と呼ばなきゃいけないんだぞ!って。
私より40歳ほど上の方だったので、まだ「手」の付く職種があった戦後まもなくに入社されているでしょうし、階級に対する差別意識も強かったのだろうと思います。
「駅士」から職名の統廃合によって「駅務係」となった人へもかなり厳しく接していたように感じていたし、今ならば許してもらえないほど上下関係や差別意識が強くはびこっていた。
今の運転士の多くは運転手と呼ばれたところで、間違っているんだろうなとしか思わないでしょう。
でも私なんかはけっこう古い方たちからの「指導」のおかげで、運転「手」と呼ばれたり書かれたりすることに抵抗を感じちゃうのです。
JR東日本みたいにそのうちどこの鉄道会社も「運転士」「車掌」という職名が消えて「乗務係」になっていくのかもしれないですけど。