記念切符の販売と管理
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記念切符の販売と管理

いよいよ“令和”がスタートしましたね。

昭和の時代に駅勤務・車掌・運転士を経験した私としては、もう二世代も前の話をこのブログで記事にしているんだなぁと、けっこう複雑な気持ちになっていますよ。

でもそれ以上に、助役を断っておればひょっとすると今も運転士として勤務していたかもしれないので、昭和・平成・令和の三つの時代で運転士をしていたかもしれないと思うと、もったいないことをしたかもという気持ちもあったりします。

 

私が駅勤務だった昭和50年代は自動改集札機を本格的に導入し始めた時代ですが(関東ではもう少し後に導入を始めました)、磁気定期券(最近は紙の定期券という人も)や磁気化乗車券(切符の裏が黒いもの)を通してチェックする程度で、回数券も駅名入り日付印を押したり入鋏するなど自動化されていない時代です。

記念切符と言えば紙に印刷された改集札機を通れないものが普通であり、駅係員から直接購入するものでした。

“さよなら平成”とか“令和元年”にちなんだ記念切符があちこちの社局で販売されているようですが、この手の切符で思い出すのはその管理が面倒だったなっていうことです。

記念切符の販売が1種類だけならいいのですが、数種類の記念切符に加えて手売りの他の切符が混在していると面倒でねぇ。

各切符ごとの販売総数と販売額(つまりはお金)を別々に管理する必要があったのですが、まだ駅長室などはいいんですよ。

ふつうの改札口で記念切符などを数種類販売していると、乗り越し精算のお金(乗り継ぎ金って呼んでいたような)とごっちゃになってしまってねぇ。

よく夜になってからつじつま合わせのために再計算もしましたよ。

A・B・Cという3種類の記念切符を販売していている場合、各種類ごとに箱を用意して(クッキーなどが入っていた金属製の箱を多用していました)ふたに記念切符の名前を書いた紙を張り付けて、箱の中には記念切符と売り上げたお金と販売実績を記入する用紙が入れられていました。

3種類の記念切符すべてを購入するお客さんも当然いるわけですが、1万円札を出されてお釣りを取りあえずどこかの箱から払っておいて、あとから計算しなおすのですよ。

駅長だったり、課長クラスが販売を気にして

「どれくらいの販売になっている?」

「どの切符が一番人気があるんだ?」

みたいなことを頻繁に電話で聞いてくるのも面倒でしたしね。

 

私は自分で販売していた記念切符って全く興味がなく購入したことはありませんでしたが、販売枚数が少ないものはよく

「悪いけど5セットほど残しておいてくれないかな?」

って他の駅員や乗務員から頼まれることもありました。

“こんなにたくさん裏から購入依頼があると、お客さん向けの販売数ってかなり減るんじゃないのかな・・・”

なんて思うことも良くありましたしね。

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