私が某鉄道会社に入社したのは昭和50年代です。
その頃はまだJRという会社はなく国鉄(日本国有鉄道)の時代で、関西エリアでは国鉄より私鉄のほうが幅を利かせていたといっても過言ではない、そんな時代でした。
※国鉄がJRとなったのは昭和62年
よく国鉄と関西の私鉄は張り合っていて、のような感じで書かれていた雑誌などがありましたが、職員同士は特に何も思っていなかったのですけどね。
何せお互いの路線をタダで乗ることができたのですから。
会社に入った当時はよく国鉄をタダで利用させてもらいました。
何度か関西から信州や九州方面へタダで乗車しましたよ。
タダとは言っても運賃だけで急行料金は払っていましたが、それでもかなり安く乗車しました。
もちろん逆に国鉄の人も私鉄に乗車することができましたし、私も他の私鉄はよくタダで利用していました。
また私鉄総連加盟のバスや公営交通などもお互いがタダで乗れましたしね。
これを相互乗車と呼んでいました。
※近鉄系の各会社は昭和40年ごろから相互乗車はできませんでした
近鉄以外にも一部労働組合の関係で相互乗車できない社局もありました
国鉄との相互乗車は昭和58~59年ごろに禁止となりました。
なので私は昭和59年の春以降国鉄をタダで利用したことはありませんでしたが、当時の国鉄は駅員さんが加盟している労組によって扱いが違っていて、労組によっては禁止後も乗せてくれていたようです。
正式に禁止となる以前から、国鉄の助役クラスは相互乗車拒否をする人も多かったですけどね。
その後も私鉄や公営交通は相互乗車が可能でしたが、平成2~3年頃にはすべての相互乗車が禁止になりました。
関西のどこかの私鉄の助役が相互乗車を拒否したことがきっかけだったように記憶しています。
※阪急の梅田だったかな・・・
国会議員はよく新幹線のグリーン車や飛行機にタダで乗れると言われていますが、あれは国がお金を支払ってパスを議員に支給しているためですね。
しかし国会議員は以前は私鉄やバスにもタダで乗ることができていました。
それも国からは1円も支払われず、私鉄やバス各社の持ち出しだったのですよ。
民鉄協やバス協(経営者側)がパスを発行して国会議員に手渡していたそうです。
パスの発行を中止したのは2012年、東日本大震災より後のことです。
ちなみに国鉄の職員、私鉄・バスの社員、公営交通の局員の相互乗車は労働組合の組合員証を改札で提示することで乗車していました。
改札で座っていると毎日1人や2人は組合員証を提示してきた記憶があります。