電車屋さんだったころの話 | ページ 5 | ハンドル

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運転士

ブレーキが抜けてノーブレーキ状態に

これは私が勤務していた会社の車両だけかもしれませんが、ブレーキが抜けてノーブレーキ状態になることがありました。 それも電磁直通ブレーキを採用している古い車両ではなく、電気指令式(HRD)の車両で起こるのです。 電気指令式のブレーキは、ブレー...
運転士

ブレーキ弁 抜き取り位置と非常制動の位置

最近は電磁直通ブレーキ(HSC)の車両が都市部ではかなり減ってきています。 全電気指令式(HRD)のほうが運転する分にはやっぱり楽と言えば楽なんですよね。 何せ5ステップ分のブレーキ力を得るためには5ステップの位置へハンドルを持って行けば、...
運転士

昔ながらのブレーキ弁は都市部の鉄道では稀少になってきた?

私が運転士になった昭和の末期(昭和63年)ごろ、私が所属していた乗務区で担当する車両は半数以上が電磁直通ブレーキ(HSC)であり、まだ電気指令式ブレーキ(HRD)の車両は少数派でした。 ちなみに自動空気ブレーキの車両はすでになかったので、私...
運転士

マジであせった・・・ブレーキハンドルの故障

支線を担当していた日のことです。 その路線には電磁直通ブレーキに抵抗制御という、今では珍しくなりつつある車両が走っていました。 でもその当時は本線の優等列車でもごくふつうに電磁直通ブレーキで抵抗制御という車両が使用されていましたから、特に珍...
運転士

私が運転士の見習だったころのはなし-5

私が運転士見習だったのはもう30年以上昔のこと。 その当時の指導員(師匠)の中には厳しいというのを通り越して、いまならばパワハラだと訴えられてもおかしくないような言動をする指導員も数多く存在しました。 「アホか!そんなところでブレーキ入れた...
運転士

京都丹後鉄道 すべてのブレーキが利かなくなって逸走

京都丹後鉄道宮津線ですべてのブレーキが利かなくなり、逸走するという重大インシデントが発生しました。 10月4日午後9時5分ごろ、丹後由良―栗田間で異音を感知した運転士が非常ブレーキで停車。 降りて点検しようとしたところ列車が転がりだした。 ...
運転士

私が運転士の見習だったころのはなし-2

私はいまでは一切タバコを吸わなくなりましたが、10数年前までは1日に1箱以上は吸っていたから少し吸い過ぎだったかな。 運転士の見習だった20代の頃はホントによく吸っていました。 また指導員(以下 師匠と書きます)もよくタバコを吸う人だったの...
運転士

便乗での失敗 昔からよくあるんです 

ちょっと前に書いた便乗のある仕業の話題。 その記事の最後に “たまに寝坊などでA駅へ現れない乗務員がいて、仕方がなく助役などが乗務することもありましたけどね。” と書いたのですが、寝坊ではなく向かうべき駅を間違えたというミスが起こったそうで...
運転士

本務運転士になった初日の乗務

操縦試験をパスして運転士見習が終わると、いよいよ師匠が横についての運転から単独での乗務になります。 独車といった言い方をする会社もあるようですが、私が所属していた会社では“本務”という言い方をしていました。 私が運転士の本務となったころ、私...
運転士

ポイント訓練終了で駅扱いも終わったはずなのに

私は大阪市内の起点駅で出発時間になるのを乗務員室で待っていました。 私が担当する列車の2分前に優等列車が定刻に出発していきました。 その優等列車がポイントをいくつか通過していくと、線路上にたくさんいた駅の係員たちが一斉にホームに上がってきま...
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