電車屋さんだったころの話 | ページ 36 | 乗務

乗務

運転士

運転士を辞めると家族はホッとするらしい

運転士になったときは私はまだ独身でしたし一人で住んでいたこともあって、運転士になったことを誰かに祝ってもらったということはありませんでした。 私自身運転士になることが目標で仕事をしていたわけではなく、車掌と同じ行路を乗務しても単価が全然違う...
運転士

この夏も熱中症とみられる症状で乗務員が交代する事案が

テレビを見ていると新型コロナウイルスの話題とともに、「殺人的な暑さ」とか「殺人的な猛暑」という言葉を頻繁に耳にします。 ホントに「暑い」という次元を超えちゃって「クソ暑い」以上の「クソ熱い」って表現がピッタリです。 この暑さの中でもマスクを...
運転士

駅員や乗務員などの鉄道の現業職には盆休みがありません

昨日の土曜日くらいから夏休みに入った会社も多いのではないでしょうか。 今年はコロナ禍ということもあって、長期の休みがあってもどことなく遠出がしにくい雰囲気が漂っていますよね。 自分が感染したらどうしようという恐怖心もありますが、それ以上に出...
運転士

私が運転士の見習だったころのはなし-2

私はいまでは一切タバコを吸わなくなりましたが、10数年前までは1日に1箱以上は吸っていたから少し吸い過ぎだったかな。 運転士の見習だった20代の頃はホントによく吸っていました。 また指導員(以下 師匠と書きます)もよくタバコを吸う人だったの...
運転士

橋梁やトンネルを近道として利用する地元の人

おそらくですが、今でも鉄道の橋梁やトンネルを近道として利用している人っていると思います。 私が勤務していた会社のある橋梁も、昔はホントに近道として利用している人が多かった。 私も何度かその橋梁上を歩く人を目撃して、急気笛や非常制動を入れたこ...
車掌

私が車掌の見習だったころ-3

私が所属していた乗務区には、食べるスペースである食堂はあったものの、その場で食べ物の提供はありませんでした。 他社の方に話を聞くと、多くの乗務区内には社員食堂があって定食などが提供されていたといいますから、私が所属していた乗務区ってあまり待...
運転士

裏面添乗 客室に隠れて運転士や車掌の操業状態をチェックする

ふつう乗務員の操業状態を確認するには、乗務員室へ監督者が添乗して指導監督を行います。 ただ乗務員によっては、監督者が横に添乗している時だけ基本に忠実な仕事していることもあります。 といっても横に添乗されていないときには、規則に反するような仕...
車掌

私が車掌の見習だったころ-2

私が車掌の見習だったのは昭和50年代ですが、いま思えば本当に無茶苦茶でした。 乗務員がホームで交代する仕業の時、ふつうは列車の到着する前に所定の位置にいなければいけません。 ところが一部の乗務員は、列車の出発に間に合えば良いという感覚で仕事...
運転士

運転士は券売機で切符の買い方を知らなかったりする

JRをはじめ各地の私鉄ではさまざまな割引切符(企画乗車券)を発売していますよね。 特に今年の夏は急減した利用者をなんとか回復させるために、例えばJR東日本は新幹線や在来線の特急の一部がが半額で利用できる企画切符、JR四国や九州では格安で域内...
運転士

私が運転士の見習だったころのはなし-1

私が運転士の見習だったのは昭和62年から昭和63年にかけて。 ホントに昭和の末期でした。 今回は指導運転士(教導という社局が多いのかな? このブログでは以下 師匠と記します)からの指示がほぼ無くなった、実務見習の後半の頃の話をしていきたいと...
Ads Blocker Image Powered by Code Help Pro

広告ブロックを使用されていますか?

当サイトは広告収入によってサーバー代などを捻出して維持しています。広告ブロッカーを一時的に解除または広告をブロックしないブラウザでご覧ください。よろしくお願いします。