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昔より年輩の運転士が増加した

運転士

今回の話はあくまで私が在籍していた会社での話です。

 

明文化された規定や決まりではなかったのですが、私が在籍していた会社では昔は50歳まで(実際には45歳まで)に運転士は職を離れ駅員になっていました。一人だけ50歳を超えて運転をしていたベテランさんがいましたが、51~2歳になって駅へ異動されたと記憶しています。

運転士という職業はハードですし、年を重ねていくと特に夜間の高速での運転は心身の双方に影響を及ぼすために、労組も会社もあとはのんびりと定年まで駅で働いてくださいみたいな感じで、声がかかればみんな駅へ異動していました。ごく普通に職場では〝乗務定年〟という言い方をしていましたしね。

昔は遅くとも42~3歳までには運転士から助役になっていましたから、それより年上の人はみんな駅でヒラの駅員さんとして勤務するのですが、「ご苦労様」的な扱いなのか助役と同格の駅員として(給料も助役と同じ)定年まで過ごしていました。

ちなみに車掌に関しては定年退職の年齢まで乗務することも可能なのですが、大半の人は50歳を過ぎたころには駅での勤務を希望し、空きができれば希望者は順次ヒラの駅員となっていました。車掌も駅へ行けば助役と同格となる人が多かったかな。中には最後まで車掌で過ごす人もいましたが、駅より車掌のほうが同じ泊り勤務をしても勤務時間が短いなど遊ぶ人にとっては都合がよかったのでしょうね。

私がいた乗務区では、乗務員が駅勤務に移ることを「駅へ降りる」という言い方をしていました。
ミスして強制的に駅へ異動させられることも「降ろされる」と言っていましたし。

 

この〝乗務定年〟の制度は組合が特に積極的でした。やっぱり40歳を超えてくると、連日100Km/h以上で早朝や夜間に走行するのって目への負担がかなり大きい。そして反射神経もやっぱり鈍ってくるものだから、とっさの時の判断がワンテンポ遅くなるような気がします。
年齢を重ねていくと優等列車よりも速度が相対的に低い各駅停車、そして本線よりも最高速度が低い支線の乗務を好むようになるものです。勤務が終わって家路に就くときの疲労感がまったく違うんですよ。特に夜間に優等列車の乗務がたくさん組まれている行路は、40歳を超えてくるとマジでしんどかった。

残念ながら身体能力って年齢を重ねていくと衰えていくんですよ。

そういう意味では昔のように、ある年齢に達したら乗務職場を去って駅勤務に異動となる制度は合理的だったなぁと思うのです。組合側が積極的だったのも、年齢が上がるにつれてミスを起こす確率が高くなるので、ミスを起こして経歴が傷つく前に助役または駅勤務となれば、定年まで安泰でいられるからという理由からです。

 

ところが気が付けば50歳を越えてもふつうに運転するようになっていますし、定年後の再雇用制度が導入されてからは60歳を超えてもふつうに電車を運転していますからね。
車掌も同様に再雇用後も変わらずに車掌をしていますから、運転士を見ても車掌を見ても私より年配の方が担当しているということが珍しくなくなってきています。先日も勤務していた会社の電車に乗車していると先輩が担当していて、
「まだ運転しているんですか?」
「今は駅に降りたくても降りれる駅がないんだぞ」
と嘆いていましたしね。

昔の制度のままならば私も45歳までには運転士から駅勤務へと異動していただろうし、早期で退職もしなかったと思いますが、いろいろと会社と組合が壊してくれたせいで50歳にもなってから助役になっちゃったんですよ。
助役をしていなかったら、おそらく今でも運転士をしていたと思います。
「夜の優等列車は目が付いていないからきつい。昔は100km/h以上の速度でホームを通過していくときでも、一人一人のお客さんの顔をはっきり区別できたんだけど、今じゃ一瞬で流れていくだけで何にも分からん……」
なんて若い車掌や運転士に愚痴をこぼし、しょぼしょぼする目に目薬を差しながら運転しているんだろうなあ。

 


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