お雑煮とぜんざいとお菓子
私が運転士の晩年になってからはお正月の間も申込制のお弁当があり、食事に困ることはありませんでしたが、昔は三が日の間は会社からは何も提供されず、乗務員時代はお弁当を持参するくらいしかご飯を食べることができませんでした。
ただ駅勤務のころは駅長室のある大きな駅では、改札のほか出納係や定期券売り場へ行けば空腹を満たすことはできました。
改札のベテラン駅員さんたちは駅での仕事が副業で本業は農家という方がかなり多く、野菜、合わせみそ、お餅といったお雑煮に必要な具材はすべて家から持ってこられて、大鍋でお雑煮を作るので食べさせてもらいました。
※関西なのでお雑煮はみそ仕立てです(白みそではなく合わせみそ)
出納係はなぜか毎年ぜんざいを作っていて、こちらも大鍋で作っていたので若い駅員はみんな寄って食べていました。
私がいた駅管区の定期券売り場はお正月でも通常営業していて、係員は母親と同じ年代の女性ばかりだったからかおせち料理を少しずつ持ってきてくれていたり、お菓子も大量に持ってきてくれていたから空腹になることはなかったです。
車掌時代は空腹に耐えて…
私が車掌をしていたのは昭和の末期ですが、この時代にはすでにコンビニはあったものの駅の周辺にはありませんでした。今なんて駅によってはいくつかのコンビニが建ち並んでいますが、この頃はロードサイドの出店がほとんどでしたから。
鉄道会社が経営するコンビニもまだなく、駅周辺でお正月から営業しているお店は初もうで客でにぎわう一部の駅だけ。本当に食料調達は難しかった。
乗務員の中にも本業が農家という方はたくさんおられましたが、駅のときのように皆が食べられるほどの食料はさすがに持ってこれません。駅とは人数が違いすぎますから。
ベテランさんたちだけで、休憩所のガスストーブでスルメ(あたりめ)をよくあぶっていました。スルメなんて食べたら飲みたくなるのでは?って思いますよね。さすがに勤務時間中は飲まずにスルメだけを食べていましたが、その日の勤務が終わればスルメをあぶって熱燗を楽しむという光景が食堂内でよく見られました。
中には家からお餅を持ってきてストーブにのせて焼いて食べる人もいましたが、基本は家から持参のお弁当を食べていました。
若い乗務員の中にも結婚していたり、実家通いの人もいてお弁当を作ってもらってる人もいましたが、私を含め独身で一人暮らしの者はどうしようもできず、暖かい飲み物を自販機で買ってきて空腹を紛らわすことが多かったです。あとは個人でロッカーに買い置きしているインスタントラーメンをすするくらいかな。
さすがに最終近くまで勤務すればお腹はペコペコだし、お腹がすきすぎて眠れません。車掌2年目の大晦日に数人で歩いて探しあてたお店へ、数人の車掌と30分ほど歩いて空腹を満たすことが車掌時代には続きました。
この経験から今でもこのお店が好きなんですよね、吉〇家の牛丼。まだ数少なかった24時間営業のお店。
今はお正月でも苦労していないと思う…
平成に入るころには乗務区の周りにもコンビニや24時間年中無休の飲食店が建ちはじめましたし、その後は元日以外は申込制の弁当が出されるようにもなり、運転士晩年には元日にもお弁当が出されるようになりました。
普段は本当に大したことがないお弁当ですが、私が乗務区を去るころのお弁当はお正月は特別メニューとかで、同じ価格なのにちょっと豪勢なお弁当が出されるように。
いやしいというべきか分かりませんが、特別メニューの弁当を1人で3つも4つも頼んで持ち帰る乗務員もチラホラいましたからね。
※普段の弁当の内容を思えばたしかに〝豪勢〟と言えるかもだけど、何かの〝合成〟じゃないのかなって感じで私はパスしていましたが…。
昔は食事の確保がかなり大変な正月の乗務でしたが、今はそういったことは何も気にしなくて良いから気分的には楽だと思います。