2冊目の著書となる「電車屋さんだったころの話 Ⅱ」の内容の紹介です。
当サイトの記事からいくつか選び大幅に書き直した記事と、書籍用に新たに書き下ろした記事を合計31話収録しています。
駅員だったころの話、鉄道のいろいろな話、車掌だったころの話、運転士だったころの話の4部構成となっています。
駅員だったころの話
駅員だったころの話を9話収めています。
磁気乗車券と硬券と補充券と記念きっぷ
ほぼ券売機と自動改札が完備されていた会社だったので、きっぷは裏面が茶色いエンコード券(磁気乗車券)がほとんどでしたが、他社が発行する連絡きっぷには硬券がまだかなり多くありました。
また駅員としてきっぷを発行する業務も少しばかりあり、例えば記念きっぷや補充券の発行などがありました。
いろいろな駅員がいました
昔は本当にいろいろな駅員がいました。
褒められるような話ではなく、この鉄道会社に就職したことを失敗だったと思わせるには十分な破壊力を持つ駅員のごく一部を紹介しています。
自動改札に入れられたさまざまな物
自動改札には本当にいろいろな物をお客さんに入れられました。
他社発行の硬券の連絡乗車券のほか裏が白い軟券もよく投入されましたし、乗越精算のつもりできっぷと一緒に硬貨を入れられたり、食べ物や飲み物を入れられたことも。
たこ焼きを入れられた時なんてもう……
忘れ物の話
駅事務室で内勤業務に就いている時には忘れ物を取り扱うことが多かったのですが、その中から印象に残る出来事をいくつか紹介しています。
忘れ物のカバンの中から小さなビニール袋に入っていた白い粉が出てきたことも……
ダイヤ改正前後は毎回怒られていました
ダイヤ改正を行うとツイッター上には「ダイヤ改悪」なんて言葉が必ず見られますが、駅勤務をしていると必ずお客さんに直接怒られるのです。
他社がダイヤ改正をしたことで怒られることもあったし。
迷惑行為に駅員も四苦八苦
駅事務室勤務をしていると痴漢などの迷惑行為のためにこちらも四苦八苦することがあります。
一度なんてトイレで覗き魔が出たらしく、私は女性トイレに籠りっきりになって……
運賃改定が発表されると
ダイヤ改正以上に駅員として困るのが運賃改定です。
利用料金が上がるのですから利用者が困惑したり怒るのももっともなのですが、駅員として本当に困ったのは、新料金をたずねてこられた時に答えることができないこと。
この当時は……
トイレのトラブル
今度は覗きなどのトラブルではなく、トイレが使用できなくなるトラブルについてです。
排管が詰まって水浸しになって使用禁止にすることもあったし、トイレの清掃員に難があって使用できないこともあったし……
駅が町の中心で玄関口だったころ
昔は駅が町の中心に存在していて、駅を中心にしてお店や民家が建ち並ぶことが普通でしたが、だんだんと駅がその地位を失いつつあると感じています。
昔の駅と今の駅とでは何が違うのか、ローカル線の存廃問題にも目を向けて私見をいろいろと綴っています。
鉄道のいろいろな話
駅員や乗務員という枠を超えた、鉄道にまつわるいろいろな話を4話収めています。
撮り鉄の暴走は今に始まったことではない
兄弟サイトの「電車屋さんだったころの話」に何度か撮り鉄に関する記事をアップしていますが、実際に鉄道に長年携わっていると、撮り鉄の暴走自体は昔からあったと実感しています。
今は若い撮り鉄の中に暴走気味な方が多いように見受けられますが、昔は中高年層に暴走気味な撮り鉄が多かったように思います。
実体験をもとに昔からいる暴走気味な撮り鉄に関して書いています。
列車無線にまつわる話
乗務員をしていると列車無線は常に使用する身近な存在ですが、いろいろなことも起こります。
他の鉄道事業者の無線が入ってきたり、トラックなどの違法無線が入ってきたり、逆に30cmほどの停車位置の差で列車無線が入らなかったり……
車内やホームの非常ボタン
車内やホームの非常ボタン(車内非常通報装置や列車非常停止警報装置、会社によって名称は異なります)について。
どのような時に押すのか、逆にこのような時には押さないでほしいといったことや、それぞれの装置はどのように動作するのかなどを書いています。
人身事故後の運転再開に時間がかかる理由
2002年ごろまで、私がいた会社で人身事故が発生した場合、事故車両は通常10分以内に運転を再開していました。
その後車両の振替などもあって15分から20分程度の遅れが発生することはありましたが、列車の運転を30分以上見合わせることもなければ、振替輸送を実施することもありませんでした。
ではなぜ今のように1時間以上の運転見合わせが当たり前になったのかというと……
車掌だったころの話
車掌のころの話を9話収めています。
良い思い出話もあれば、今思い出しても腹の立つ話もあり。
車内補充券を発行していたころ
私が所属していた乗務区では、いまは車掌は車内補充券を持たずに乗務しています。
自動改札を利用できない車内補充券の発行はお客さんに不便をかけるし、今の時代は交通系ICカードの利用者が圧倒的に多くなり、車内補充券は必要がなくなったのかもしれませんが、実は意外な理由から車内補充券は無くなったのです。
開くドアに引き込まれる戸袋づめ
ドアと戸袋との隙間に手を引き込まれる戸袋づめ。
子供や女性がその被害に遭うことが多いのですが、車掌が戸袋づめを防ぐことはできません。
戸袋づめが発生した時の対処法などを書いています。
昭和の時代からクレーマーはたくさんいました
利用者とか客という立場から従業員に無理難題をふっかけるカスタマーハラスメント。
無理難題をふっかける人をクレーマーと呼びますが、昔からいたんですよ。
ここでは車掌時代に遭遇したクレーマーの話をいくつか紹介しています。
乗務していて困った難儀な車両
車掌として乗務していて本当に困る難儀な車両のことを書いています。
急に車内灯が落ちたり、勝手にドアが閉まったり……
異常時こそ車掌は放送を
自動放送が急速に普及しているので、車掌自らが放送する機会はかなり減少しています。
だからこそ事故や故障時などの異常発生時には、車掌がその時の状況を事細かく放送してほしいと思うのです。
定型文だけを読み上げるだけだったり、異常時ではない時にはペラペラとよく喋る車掌もいますが……
小荷物と手荷物と列車便
「小荷物」や「手荷物」というのは主に国鉄時代に利用されていたサービスで、私がいた会社では一般利用者に対するそのようなサービスは実施されていなかったのですが、なぜか依頼してくるお客さんが一定数いました。
新聞社から依頼された託送サービスは実施していましたが。
「列車便」は会社内での書類や荷物などのやり取りの際に列車で送ることを指し、その話を書いています。
年末の乗務は酔っ払いとの戦いです
一年で最も酔ったお客さんが多いのが年末です。
車掌として乗務していると酔っぱらったお客さんとの戦いが熾烈を極めます。
止まると反射的にドアを開けてしまう
停車駅ではないのに運転士が間違って停車させてしまい、なぜか車掌もつられてドアを開けてしまう。
またホームの無い場所でドアを開けてしまったり、片側ホームなのにホームの無い側のドアを開けてしまったり。
なぜこのようなことが起きるのかなどを書いています。
旅客に殴られた経験
私は乗務中にお客さんに殴られた経験があります。
その時の様子や鉄道会社側の対応などを書いています。
運転士だったころの話
運転士だったころの話を9話収めています。
前照灯(ヘッドライト)と標識灯について
今ほとんどの鉄道では日中も前照灯(ヘッドライト)を点灯させて運転していますが、以前は新幹線など一部の鉄道を除いて日中には点灯させていませんでした。
なぜ点灯させるようになり、その多くはハイビームで運転しているのか。
あわせて標識灯についても書いています。
石や花火にタバコに西瓜に豆腐までが飛んでくる?
列車を運転しているといろいろな物が列車に対して投げ込まれます。
豆腐は私ではありませんでしたが、それ以外は私が運転している列車に投げ込まれた物。
投げ込まれた時の話をしています。
乗務員と視力について
運転士の視力の要件は年々緩和されていきましたが、それでも私は視力の要件をクリアするのに運転士の間はずっと苦労しました。
視力で悩んでいる方へ贈る記事となっています。
雪対策がまったくされていない車両
雪は降ることはあるけど、積もることは数年に一度あるかないかといった地域だったために、私が在籍していた会社の車両には全く雪対策が施されていませんでした。
そんな車両で積もるほど雪が降った時の運転について書いています。
フラット痕を作るのが恥ずかしかったので
フラット痕とは車輪がブレーキによってロック状態となり、レール上を回転せずに滑っていくことで出来る車輪の傷です。
本来は丸みを帯びている車輪がレール上を無回転で滑ることで、一部分が平らになってしまいます。
するとかなりの音や振動が生じることになり、乗り心地は極めて不快なものになります。
フラット痕を作らないように悪戦苦闘していた様子を描いています。
電車の蓄電池が放電すると
なぜかバッテリーとは言わずに蓄電池と呼ぶことが多いのですが、蓄電池が放電した場合パンタグラフを上げただけでは車両を動かすどころか、ほぼすべての機器が動きません。
その理由や蓄電池が放電した時の対処法などを書いています。
なぜ気笛を鳴らしたのかわかりますか
気笛を鳴らされたことに対して文句を言うなど抗議する人もいますが、そもそもなぜ気笛を鳴らされたのかお分かりでしょうか。
運転士としては鳴らす必要があると判断しているのですが、その理由について書いています。
昭和から平成に変わった時
昭和天皇が崩御(お亡くなりになられた)された時、私は各駅停車を運転していました。
運転しながらでしたが街の様子から崩御されたことも分かりましたし、その後数日間はいつもとは全く違う街の風景を見せていました。
運転士を辞めると家族はホッとするものです
家族からすると、列車の運転士をしているというのはあまり良い印象がないそうだし、それこそ運転士を辞めた時にはものすごくホッとするといいます。
その辺りのことを書いています。
おわりに
記事を書いていると何度読み返しても誤字脱字が残ることが多く、自分の集中力の無さに呆れることがあるのですが、最近の鉄道事故の中には運転士の集中力の無さから起きている事案が見受けられます。
また保安装置は拡充されていますが、中には全く拡充されずに昔のままという場所もあります。
それらのことをおわりの話として書いています。
以上が「電車屋さんだったころの話 Ⅱ」の内容紹介です。
すべてが実体験にもとづいた話で、今にも通じる話も盛り込んでいます。
こちらからサンプル(Amazonのページへリンクしています)をご覧いただけます。
よろしくお願いします。