私の初めての著書「電車屋さんだったころの話 Ⅰ」の内容の紹介です。
当ブログのの記事からいくつか選び大幅に書き直した記事と、書籍用に新たに書き下ろした記事を合計31話収録しています。
駅員だったころの話、鉄道のいろいろな話、車掌だったころの話、運転士だったころの話の4部構成となっています。
駅員だったころの話
駅員だったころの話は9話収めています。
駅勤務時代は夜食に恵まれていました
乗降人員も多く駅員の数も多い大きい駅では、夜食はカップラーメンなどで簡単に済ませることが多いのですが、小ぶりな駅の場合は駅前に屋台や車の移動販売の「たこ焼き屋」や「ラーメン屋」が夕方に店を出すことも多く、そういった駅では夜10時ごろになるとになるとたこ焼きやラーメンを差し入れしていただけることが多かった。
よく改札の窓口の窓を閉め切って夜食をいただいたものです。
もちろん何もしないのに貰えるわけではなく、きちんと理由があるわけで……
他にはケーキを改札の窓口で座りながら食べた話なども。
自動改札で回収された使用済みのきっぷ
今はほとんどの方が交通系ICカードで乗車されると思いますが、私が駅員をしていた昭和50年代は定期券かきっぷで乗車する方がほとんど。
駅から出る時に自動改札にきっぷを投入すると回収されますが、そのきっぷはその後どうなっていくのか。
きっぷを落としたと申し出があったとき
今はきっぷを落としたと申し出すると、もう一度お金を支払って「再収受証明書」が発行されるケースが多いと思いますが、私の駅勤務時代には駅員は誰も「再収受証明書」なんて発行することはありませんでした。
どのように対応していたのかというと、申し出されたお客さんの……
駅勤務は料理の腕を上げるための場所?
私は駅勤務の見習中、指導員(師匠)に何を最も重点的に教わったのかというと、お米のとぎ方でした。
昔の駅勤務は自炊していたので、料理を覚えるには本当に好都合。
他の駅で勤務の同年代の人を集めて、休憩中に「焼きそばパーティ」をしたこと時の話など。
駅長室の裏でスイカを作っていた時代
まだSuica、ICOCA、PASMOなどが生まれる以前に、ある駅ではスイカを作っていました。
他にもいろいろな物を作っていましたが……
一人泊まりの駅の怪談話
私が入社した昭和50年代の中頃から駅長所在駅などを除いて、それまでの複数人の泊りから一人泊りへと合理化されていったのですが、すると先輩たちからは各駅の怪談話を聞かされるように。
過去に人身事故のあった駅に一人泊りをするその日に、怪談話をされると仮眠どころではなく……
朝、きっぷも持たずに入場していく人はいったい
毎朝ある駅ではきっぷを持たずに自動改札を突破して入場する人がいたのですが、その人は「うどんを食べたいから」と駅へ入っていきます。
この駅には立ち食いそば屋なんてないのに。
そして夕方には「ごちそうさん」と言って駅を出て行くのですが……
色々な理由を付けて払い戻しを要求する人
買い間違いや重複購入の払い戻しは当然行うのですが、なかには拾ったきっぷを持ってきて払い戻せと要求する人が。
昔はキセル乗車に使用したきっぷをホームなどに捨てる人も多かったので、拾って払い戻せと来る人も多かった。
初めて一人泊り勤務をした時の話
もう40年以上昔のことになるのですがいまだに忘れることがない、一人泊まり勤務を初めて行った時の話です。
そういえば初めての一人泊りの時は怪談話は聞かなかったのですよ。
鉄道のいろいろな話
駅員とか乗務員といった分類には当てはまらないけど、いろいろ興味のありそうな話を4話収録しています。
昔は国鉄も私鉄も乗り放題でした
私が入社した1981年当時は、一部の社局を除いて日本中の鉄道やバスが乗り放題でした。
すぐに国鉄は乗れなくはなりましたが、他の鉄道やバスは平成の初期まで乗り放題だったのです。
※最初に出した版では「会社によって大きく違う鉄道の業界用語」でしたが差替えました。
電車運転士の出身学校の話
この記事は特に私が在職した会社での話であり、地域や会社によってかなり内情が異なっています。
関西は鉄道系の高校もありませんから、特に関東の鉄道会社とはかなり内情が違うと思います。
駅員・車掌・運転士には鉄道好きな人が多い?
これも会社によってかなり内情が違うとは思いますが、特殊だった勤務先での実態について書いています。
でも他社の知り合いでも意外と鉄道が好きで入社したという人は少ないような印象が……
なぜ朝ラッシュ時間帯はよく遅れるのか
もちろん利用者が多く、ダイヤが現状に合っていないことが最も大きな理由かもしれませんが、意外と現場で働く電車屋さんに列車遅延の原因があったりもするのです。
車掌だったころの話
車掌の見習中の話や失敗談などを全部で9話収めています。
車掌の指導員なんて怖くてできません
駅員や運転士の見習を面倒見る指導員(一般的には師匠と呼びます)の場合、横または後ろで見習の様子を見ることができるのですが、車掌に関しては最も怖いドア扱いや発車時の取り扱いを指導員は直接見ることができません。
そんな車掌の指導員に関する話です。
車掌見習中は本当に辛かった
私が車掌見習の時の話です。
昭和50年代(1980年代)の話ですが、指導員に仕事を教えてもらっているという感覚は全く無く、ただいじめられていたとしか今も思えないのです。
そんな理不尽としか思えなかった、私の車掌見習時代の話です。
車掌として初めて一人で乗務したときのこと
とにかくイヤでイヤで仕方がなかった車掌見習を終えて、車掌として初めて一人で乗務した時の話です。
見習中とは違ってことがスムーズに運んでいくので不思議な感覚がありましたが、一乗務終えて降りてきた時にはもう……
制帽がふわりと飛んでいく
出発監視(側方監視)のために、車掌は列車が駅から出発する時に窓から顔を出して、ホーム上や列車に異常がないかを監視しています。
でもたまにやっちゃうのです、制帽が頭からふわっと浮き上がり飛んでいく……
「信号待ちです」と放送した本当の理由は
運転士から連絡を受けた車掌の私は、数駅進行したある駅で車内に「信号待ちです」とだけ放送して、しばらくドアを開けたまま停車させていました。
その理由はいったい……
乗務区以外での泊まり勤務
乗務員も泊まり勤務が多いのですが、大半は所属する乗務区の仮泊施設での泊りです。
しかし何本かは乗務区以外での泊まり勤務もあり、車掌時代はかなり楽しみにしていました。
今では考えられないようなことをしていたこともあるのですが、それ以上に運転士から……
放送をしようとしても駅名が浮かんでこない
いつもはすんなり駅名を放送できるのに、急に頭が真っ白になって「ここはどこ?」という状態になることが。
すっと駅名が降り注いでくるときのほうが多いのですが、いくら考えても駅名が出てこない時があるのです。
他に乗り換えの案内放送についても書いています。
閉扉予告として笛を吹いていたのだが
昔はドアを閉める前に閉扉予告として手笛を吹いていたのですが、近年は省略する傾向にあります。
なぜあまり車掌が笛を吹かなくなったのか。
乗務員室に向かってくる乗客が怖い
車掌をしていて何が怖いかって、乗務員室のほうへ歩いてくるお客さんが本当に怖かった。
ほとんどのお客さんは乗務員室の手前までやってきて……
運転士だったころの話
私は運転士を26年していましたので、運転士に関する話はいろいろとあります。
昔話が多くなりますが、こんな時代もあったのだなぁと思いながら読んでいただければと思います。
運転士としてはじめて一人で乗務した時のこと
見習が終わって初めて一人で列車を運転した時のことを書いています。
ふつうは緊張して汗ダラダラになりながら運転するものですが、ある理由から緊張どころではなく必死に運転することに。
運転士と腹痛とトイレ事情
運転士に限らず車掌もそうですが、乗務中に突然襲ってくる腹痛について書いています。
おかげで今でも「とりあえずトイレへ」の習慣が抜けません。
駅員も乗務員も監督職も飲酒していた時代
今は呼気から少量でもアルコール分が検出されれば乗務できませんし、さらに様々なペナルティが課されます。
ところが昔は多くの係員が飲酒していた、そんな実態について書いています。
置き石よりはるかに怖かった置き○○
置き石は列車が脱線することもある非常に危険な行為で、実際に1980年には京阪電車が脱線して民家に突っ込むという大惨事が発生しています。
でもそんな怖い置き石よりはるかに怖ったのが、線路上に置かれた……
停車中に子供に手を振ることも難しくなった
停車中にホームから運転士に向かって手を振る子供。
運転士時代はそんな子供に手を振り返すと、こちらも少し緊張が解けて和やかな気持ちになるものですが、だんだんと手を振り返すことも難しくなってきた、そんな話です。
熱中症対策なんて皆無だった乗務員時代
毎年夏季になると熱中症とみられる体調不良に見舞われる乗務員がいて、列車に遅延が発生したという報道がなされます。
今の鉄道車両はエアコンも装備されているのに、なぜ熱中症とみられる症状に見舞われるのか。
上司に熱中症対策について直談判した時の回答なども記しています。
土砂降りの時より降り始めのほうが運転は難しい
雨が降ると鉄でできているレールと車輪との摩擦係数は相当低下し、まともに走らせることが難しくなります。
でも不思議と土砂降りになると運転自体は楽になることが多いのです。
列車走行中に運転士に質問を試みる人
運転士に何か尋ねたいことや、伝えたいことがあるのかもしれませんが、駅間を走行中の運転士は応対はできません。
でも本当に多いのです、乗務員室のドアを何としてでも開けて運転士に質問しようとする人って。
人身事故を経験した運転士
列車の運転士をしていると、人身事故というものは避けては通れません。
ネット上の記事の中には、人身事故に遭遇した運転士は重度の鬱になるとか、二度とハンドルを握ることはなく別の部署に異動するというようなことを書いている記事もありますが、実際にはどうなのでしょうか。
車掌~運転士~助役と運転部門で30年以上過ごした私が、本当のところを書いています。
おわりに
当初は1~2年ほど備忘録的にブログに綴るつもりが、2017年末に初めて5年を超えました。
なぜ表には出せない裏や影の部分を中心にブログを綴っているのか。
その思いなどをおわりの話として書いています。
以上が「電車屋さんだったころの話 Ⅰ」の内容紹介です。
すべてが実体験にもとづいた話で、今にも通じる話も盛り込んでいます。
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よろしくお願いします。