あまり電車の話題は取り上げない当ブログですが、珍しく電車の話題をしてみます。
通称・和田岬線(山陽本線の支線)から103系が撤退するとかで、JR西日本もイベントや関連グッズを発売するようですし、神戸の駅弁製造会社も「和田岬線103系勇退記念弁当」を個数限定で発売するとか。
103系はあまりにも身近な電車で、少し前までは大阪環状線や東海道・山陽緩行線でごく普通に走っていたイメージが強く、逆に言えばよく令和の時代になっても走り続けていたなと思います。
和田岬線の103系はこれまでに2回乗車したかな。
一度は和田岬線沿線にある鐘紡記念病院(現・神戸百年記念病院)に人間ドッグ受診のために訪れた時。
2001年12月に撮影しています。(上記の画像です)
この時以前に和田岬線を利用したのはまだ客車列車が走っている時代で、ディーゼルカーのころは一度も乗車する用事がなく、知らずに乗車したら103系だったので記念に1枚撮影したものです。
次に利用したのは2012~3年ごろだったと思います。
和田岬駅近くのお店で忘年会をするということで乗車していますが、いずれも兵庫駅から和田岬駅までの乗車で帰りは地下鉄で三宮へ出ています。
さっき調べたら和田岬線には鐘紡前という駅があったそうですね。
この駅があれば病院へ行くのも楽だったのに。
103系は子供のころの思い出が強くて。
まだ5~6歳のころだったと思うのですが、家族で用事で電車に乗車したのですが、乗車した下り列車は茶色い電車(72系かな?)
ちょうど同じタイミングで上りに到着したのが青い103系で、ものすごく格好よく思えたのです。
その時のことが50年以上たっても忘れることなく記憶されていて、この色の103系を見るとどこか落ち着くのです。
和田岬線自体は客車時代にはよく乗りに来ていて(というか、友人に連れられて)、あまり鉄道に興味の無かった私はほとんど写真を撮っていません。
※探せば1枚くらいはあるかもしれませんが、撮った記憶がない。。。
その友人は10人分しか座席の無いただっ広い客室の写真を何枚も撮っていましたが、私にすれば変な列車にしか見えなかったので当然1枚も撮らず。
覚えていることと言えば、夕方の始発となる和田岬行きは和田岬駅で機回しをしていたこと。
上の103系の写真の右側に機回し線があって、牽引してきたDD13が付け替えられていたこと。
兵庫へ戻ると今度は機回しせずに、和田岬行きの先頭となるほうへもう1両DD13を付けて、プッシュプルとなって兵庫と和田岬の間を行ったり来たりしていたこと、くらいかな。
そういえば和田岬駅から先にも線路が続いていて、市道を横切って三菱重工の工場内へその線路が繋がっていたけど貨物線だったのかな?
これは友人と和田岬線からの帰りのきっぷで、三ノ宮まで購入。
何となくこのきっぷが欲しいなと思って三ノ宮駅で申し出ると、しっかりと無効印を押されてしまいました。
これはこれで良い思い出ではありますけどね。