ぶっ飛ばす運転士
私が運転士になったのは1988年で25歳の時。
その当時の乗務区には昭和一桁生まれの車掌もいて、そういった方々がかたまっておられる休憩所の一角は、ヤ○ザの集会かと思わせる独特なオーラを放っていました
私がいた乗務区の運転士は基本的に45歳までには助役になるか、または駅勤務になるかしていて、それほど年配の方はいませんでした。
と言っても昭和10年代生まれの方はいましたが。
今は関係なく65歳まで運転していますけどね。
私が所属していた乗務区の運転士は、昔はメチャクチャな飛ばし方をする方がほとんどで、ATSなんて備えていない頃は時刻表やダイヤなんて全く意味を持たない状態だったそうです。
とにかく乗務交代を行う駅や終点にいかに早く到着するか。
それしか考えずに乗務していたと言います。
運転士がぶっ飛ばすのに車掌がゆっくりとした仕事なんてできません。
ドアを閉めた時に駆け込み客があって再開扉なんてしたら、あとで運転士に怒鳴られたと言いますから。
車掌の開扉のタイミングが絶妙だった
運転士になったころは自分の親より年上の車掌さんと乗り組む機会も多く、下手な運転なんてしていたら怒鳴られそうで本当に怖かった。
休憩所の決まった一角に座る超ベテラン車掌のボス的な人、もう見た目から本当に怖かった。
でもその方と乗組んでから運転技術が向上したのも事実なんですよね。
この車掌さんは列車が完全に停止する前にドアを開けます。
ドアが開ききった瞬間に電車が停車する、そんなタイミングで開扉していました。
これも昔の運転士がとにかく少しでも早く乗務交代する駅や終点へ到着させるために、車掌に求めた操業でした。
中にはそういうタイミングなんて分からず、何も考えずに適当に開けていたベテラン車掌もいましたが。
何度目かにこの車掌と乗り組んだ時に私は、この車掌さんが車掌スイッチを開きにした瞬間にブレーキを全緩めにしてみました。
するとショックなくピタッと止まるんですよ。
運転している私はまた新米で全緩めのタイミングをまだ勉強していたのですが、この車掌さんは完全にそのタイミングをつかんでいました。
それからは自分でも面白いように電車を止めることができるようになり、本当に仕事を楽しく感じられるようになりました。
所定の位置に止まれない時は
この車掌さんと乗り組んでいろいろと覚えていった私は、昔の運転士みたいに全駅全制動で突っ込んで、1段で全緩めしてピタッと止めてやろうと思い立ち、この車掌さんと乗り組んだ時に決行しました。
何駅かはうまく止められて、
「まだ少し余裕がある感じがするし、もう少し距離を詰めてやろう」
そう思ってさらに心持ち詰めて次の駅で入駅を試みました。
私が運転する先頭車両がホームに差し掛かるずっと手前で車掌さんがベル合図を送ってきました。
「後退しても良い」
というベル合図です。
結局2両ほど飛び出して停止してしまいすぐに後退。
そこからは慎重に80度制動で階段緩めで止めていき、終点に到着して乗務場所を交替する際にホーム上で、
「○○駅、すみませんでした」
って平謝りするも、ニコッと笑って手を振るだけ。
いつもは人を○しそうな目つきをしているので、逆に背中がゾクッとしたことを覚えています。
私が運転士になって2~3年後にその方は定年退職されたのですが、送別会に顔を出した時に
「お前、ちょっとこっち来い!」
と横に座らされて、最後の最後にふざけた運転ばかりするなと怒られると思っていたら、
「今度はお前が後輩に教えてやれ」
今は所定の位置に完全停止を確認してから車掌はドア扱いをするので、ショックなくピタッと止める運転士だとドアを開けにくいと言った意見もありますし、運転士も車掌も昭和の操業ではダメなのでしょうね。
でも…