電車屋さんだったころの話 | ページ 25 | 車掌

車掌

運転士

乗務員と飲酒

・寝台特急「紀伊」機関車衝突事故(1982年)・西明石駅寝台特急「富士」列車脱線事故(1984年)これらの事故の共通点をご存知ですか?この2つの事故はともに、機関士の飲酒運転が原因となった事故です。名古屋での事故のとき私は駅勤務でしたし、西...
運転士

台風が接近してくる日の出勤

私は乗務員時代は基本的に電車で通勤していました。泊まり勤務もありますし、日勤勤務のときは電車で出勤ができる出勤時間ですし、退勤時間も電車で帰れる時間が大半ですから。もちろん遠い所から通っている方はそうもいかないのですが、そういった方が好んで...
車掌

こちらに向かってくる客が怖い

通勤路線の車掌って最後部の乗務員室に乗務していて、客室側に向くように立っていることがふつうです。するとこちらへ(車掌のほうへ)向かって歩いてくるお客さんがいるわけですよ。「うわぁ、いやだなぁ、何か文句言われるんじゃないかな・・・」すると乗務...
運転士

列車走行中に運転士や車掌に質問する人

私は人にたずねるのが嫌いなので、旅先などでも道行く人に場所を聞いたりはしません。もちろん電車やバスの運転士や車掌に聞くのも嫌なんですよ。今ならスマホがあるのでほとんどの情報は入りますし、昔まだ携帯電話も無かったころだって地図やガイドブックで...
運転士

女性の進出で劇的に変わった会社の設備

私が入社した昭和50年代の中ごろは、女性の新入社員なんて一人もいませんでした。駅には数人の女性が働いてはいましたが、皆さん私の母とあまり年齢が変わらない方々ばかり。まだ改集札機どころか券売機も本格的に設置されていなかったころは、切符は出札窓...
車掌

この荷物を運んでください

本社から駅や、駅から駅への託送品は乗務員室に載せて運びます。本社からの託送品で多かったのは通達類でした。それこそ人事異動の通達もあれば、運転関係の通達で臨時列車の運転といったもの。会社の福利厚生関係の通達など、割と頻繁にありました。基本は車...
車掌

異常時の放送こそ車掌の見せ場なのです

私と同期入社でいまも車掌として乗務している方がいます。その方は運転士になることを頑なに拒否し、生涯一車掌で定年を迎えると頑張っています。その方の普段の車内放送は正直言ってぶっきらぼうというか、やる気がまったく伝わってこないというか。とにかく...
運転士

台風の状況次第で運転休止となる時の乗務員の気持ち

先日の台風21号は各地で大きな被害をもたらしましたが、あらかじめ大きな被害が予想されると伝えられていたこともあり、JR西日本をはじめ数社の私鉄では前日に運休の予定を発表する計画運休を実施しました。あらかじめ運転を取りやめる時間を周知しておれ...
車掌

一部締切スイッチ

私が所属していた乗務区が担当する路線では、ホーム有効長が短いためのドアカットと言う扱いはありませんでした。ただし一部の編成には、1両につき1か所だけのドアを開けておく装置(一部締切スイッチ?・正式な名称ではありません)が備わっていました。※...
車掌

車掌はただの通過点?運転士になることがゴール?

今はほとんどの鉄道会社で、駅勤務→車掌→運転士と進んでいくコースが一般的になっています。駅勤務は乗務員とは離れた場所での勤務ですし直接の接点がないことから、普段の仕事を頑張って、試験勉強もして何とか車掌になりたい。そんな気持ちで仕事をしてい...
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