私が入社した昭和50年代の中ごろは、女性の新入社員なんて一人もいませんでした。
駅には数人の女性が働いてはいましたが、皆さん私の母とあまり年齢が変わらない方々ばかり。
まだ改集札機どころか券売機も本格的に設置されていなかったころは、切符は出札窓口で購入するのがごくふつうのこと。
この出札窓口で働くために入社した方々が、その当時はまだ駅にいらっしゃったのです。
ただ改札の仕事よりは定期券の販売に従事する方が多かったです。
改札のシフトって泊りのほか、2日で3日分の日勤勤務を行ったり1日で2日分の日勤勤務を行うシフトなど、割と夜遅くまで働くシフトが多かったのです。
当時は女性の深夜就業って一部の職種に限られており、鉄道業では22時以降の女性の就業は禁止されていたため、ほとんどの改札のシフトに女性が入ることができなかったのです。
出札窓口があった当時も夜になると締め切られて、切符は改札口で売られていたと言いますしね。
駅での泊まり勤務でイヤだったのが、シャワーやお風呂などの設備が無い駅が大半だったこと。
ごく一部の駅だけでしたよシャワーがあったのは。
お風呂は管区長所在駅だけでしたしね。
なのでいつも終電が出発して改札を締め切ると、真っ先に絞ったタオルで体をふいて、そのあと炊事場でシャンプーとリンスをするのが日課になっていました。
今なら汗拭きシートなんてものもあるのですが、当時はありませんからタオルで体をふいていましたよ。
炊事場で頭を洗うとスッキリしていましたね。
私が運転士になってからですが、労働基準法が改正されて女性の深夜就業が可能になりました。
1999年のことのようですね。
そして男女雇用機会均等法の成立などもあって、女性が新入社員として現場に配属されるようになりました。
私が駅にいたころと違って女性も泊まり勤務のシフトに入るようになるため、全駅にシャワーを設置するなど会社の設備が急によくなったようです。
数年すれば車掌として乗務区にやってくるということで、女性用の寝室やシャワールーム・浴室の設置などが乗務区内でも行われました。
そのついでに男性用の浴室の設備も更新されるなど、女性が配置されるためのおこぼれを男性が受けていた、そんな感じでしたよ。
とにかく設備の改善が急速に進みましたからね。
時を同じくして乗務区内に喫煙ルームが設置されたり、昔からすると考えられないほどよくなったんですよ。
しかし駅でも乗務区でも
「どこに女性用の設備を設置するんだ!」
「男性用のスペースを削るな!」
みたいなドタバタもありましたしね。
今では駅どころか車掌や運転士でも当たり前のように女性を見かけますが、受け入れる前にはこんなことがあったんですよ。