私が駅勤務をしていた昭和50年代、関西の大手私鉄では自動改集札機の導入が進んでいました。
また車両も運行標識版(行先や列車種別などが書かれた板)から方向幕(行先や種別が書かれた電動で動く幕)に少しずつ変わっていった時期です。
自動改集札機や券売機は駅員の数を減らすために導入を急いでいましたし、運行標識板は列車に設置するときにホームから線路へ落下したり、ホームの無い側に設置する時に他の列車との接触の危険があるために少しずつ方向幕へと変えられていきました。
私が駅勤務をしていた頃って、古くなった備品類はとりあえず倉庫に放り込んでおき、時間ができたときに処分することが多かったです。
私が配属されていた駅管区の駅長所在駅には大きな倉庫がありまして、他の駅管区や乗務区の古くなった備品類もすべて放り込まれていました。
たまに駅管区内で休暇をとる者もおらず、若手数人が駅事務室に集まり電話番をすることがあったのですが、そういう時にとある首席助役が決まって
「若い衆がたくさんおるから倉庫整理しよか」
首席助役の指示の下、古くなって使われなくなった備品類の整理を行うのです。
倉庫の奥のほうの小さな棚をのぞいてみると、そこには切符を切っていたハサミ(パンチ)が大量に眠っていたりしました。
「首席、このハサミどうしましょう?」
「そんなもん使わんから捨ててしまって」
国鉄の切符を切るハサミって凹凸△など駅によっていろいろな形がありましたが、私が勤務していた会社の駅のハサミは丸く穴を空けるだけのタイプでした。
自動改札に切符を通した時に丸い穴が空けられるのですが(今でも空いてるのかな?)、これを駅員がハサミで1枚1枚穴を空けていたわけです。
「お前らハサミなんて使ったことないやろ?いくつか駅事務室へ持って行って、あとで切符切りの練習をするぞ」
みんなハサミを1~2個ずつ手に取りポケットに忍ばせました。
倉庫整理が終わってから、首席助役にハサミの持ち方や切符の切り方のレクチャーを本当に受けましたよ
「行き先とか急行とか書かれている看板がかごの中にいっぱいあるのですけど」
方向幕を備えた車両が増えたために、役目を終えた運行標識版が倉庫の中の大きなかごの中に無造作に放り込まれていたのです。
「いるんやったら持って帰れ」
私をはじめこの日倉庫整理に駆り出されていたメンツは誰一人興味がないために無言でした。
「紙袋を用意するから1~2枚ずつ持って帰れ!邪魔なんや!」
仕方がなく系列の百貨店の紙袋に運行標識板を入れて家に持って帰りました。
持って帰ったけど、電車が好きな友達にハサミと一緒にすべて譲りました。
他には昔のダイヤグラムだったり、スタフ(運転士が運転の時に使用する発着時刻が書かれた用紙)だったり、駅の柱に取り付けられていた縦長の駅名標や灰皿など、とにかく倉庫の中の物品を次々に持ち帰らされました。
いま持っていたらちょっとしたお宝になっていたかもしれませんが、持って帰ってきたらすぐに友達にあげていましたからね。
最近はこういう備品類って鉄道会社が売っていたりしますが、昔はただのゴミ扱いでしたからね。