電車屋さんだったころの話 | ページ 3 | 師匠

師匠

車掌

はじめての一人での乗務(車掌)

私が車掌になったのは昭和58年の夏前でしたから、もう37年も昔のことになります。 私が勤務していた会社では、車掌の見習は学科が約1ヶ月間あり、その後に指導車掌(師匠)が担当する列車に乗せてもらう形で約1ヶ月間の実習があります。 実習期間の最...
運転士

ホームの喫煙コーナー

なにげにネットニュースを見ているとこんな記事がありました。 JR中央線で東京から一番近い「ホーム喫煙所のある駅」はどこ? その昔、私が車掌をしていた頃はホーム上にはゴミ箱と同じように吸い殻入れが置かれていて、朝の通勤通学ラッシュの時間帯なん...
運転士

車掌が制動試験や起動試験をしたり回送列車を運転したり・・・

私が車掌だったころ、車庫へ出庫作業へ行くと必ず運転士に 「はい、制動試験をやって」 と言われました。 最初のうちはブレーキ弁ハンドルを差し込んだり抜き取ったりするのも難儀しましたが、しばらくすると全然ふつうに扱えるようになっていました。 ハ...
駅勤務

現場で働く駅員や乗務員にも正しい情報は流れてこない

事故や故障などで運行がストップしたとき、多くのお客さんが真っ先にとる行動とは。 当然ですが鉄道会社の制服を着た職員を捕まえて、いったい何があっていつごろ運転再開するのかといった情報を得ることですよね。 通勤通学のほか様々な用事を行うために鉄...
車掌

車掌はただの通過点?運転士になることがゴール?

今はほとんどの鉄道会社で、駅勤務→車掌→運転士と進んでいくコースが一般的になっています。 駅勤務は乗務員とは離れた場所での勤務ですし直接の接点がないことから、普段の仕事を頑張って、試験勉強もして何とか車掌になりたい。 そんな気持ちで仕事をし...
駅勤務

みんなで集まって昼食を

必須だった米の研ぎ方研修 このブログを始めた当初に書いた米の研ぎ方の話。 入社して現場実習に着いた頃、師匠にもっとも指導されたのが米の研ぎ方でした。 私が駅勤務をしていたころ、駅は自炊が当たり前だったので米の研ぎ方はもちろん、いろいろなおか...
車掌

笛を吹かなくなった車掌

苦情が多かった車掌の手笛 私が車掌の頃は、ドアを閉める前に手笛(呼子笛・ポリス笛)を吹いて旅客に出発を知らせるという決まりになっていました。 ところがこの手笛に関する苦情が大変多かったことから、どこの会社も原則手笛を省略する方向へと変わって...
運転士

新入社員と新入生と新米運転士

新米運転士が巣立ってすぐ なぜだか知りませんが、どこの鉄道会社でも運転士の研修って3月の中頃から末に終わります。 1人で運転をはじめたばかりの運転士が、各社ともに多数存在する時期なのです。 前にも書きましたが、電車に乗り慣れていない新入社員...
車掌

最終電車

私が車掌のころ、最終電車を担当した時にはヘッドライトを点灯して走行していました。 運転士は前部標識として前照灯(ヘッドライト)を点灯させることが規則に明記されています。 しかし車掌がヘッドライトを点灯させるといった規則は存在しません。 でも...
駅勤務

恐怖の日付印

記念すべき第1回目の思い出話は、駅での見習時代の忘れられない話です。 私が会社に入ったころは、回数券はまだ手売りでした。 やや大きめの台紙にミシン目が入った回数券が11枚連なっています。 その台紙部分に発売日の日付印を押し、使用する際にも同...
Ads Blocker Image Powered by Code Help Pro

広告ブロックを使用されていますか?

当サイトは広告収入によってサーバー代などを捻出して維持しています。広告ブロッカーを一時的に解除または広告をブロックしないブラウザでご覧ください。よろしくお願いします。