今はほとんどの鉄道会社で、駅勤務→車掌→運転士と進んでいくコースが一般的になっています。
駅勤務は乗務員とは離れた場所での勤務ですし直接の接点がないことから、普段の仕事を頑張って、試験勉強もして何とか車掌になりたい。
そんな気持ちで仕事をしている若い人が多いと思います。
ところが車掌になると、頑張って試験を突破して運転士になりたいという気持ちは良いのですが、駅勤務とは違って車掌の仕事をないがしろにし過ぎる傾向が強いように思います。
JRなどでは運転士と車掌の所属区所が違うのですが、私鉄では運転士と車掌は同じ乗務区に所属し、同じ行路を乗務することが普通です。
出勤して退勤するまで、丸1日同じ運転士とペアになって働くわけです。
すると車掌の中には
「試験に受かれば運転士になるわけだし、車掌なんてただの腰掛」
みたいな感じ丸出しで仕事をする人が少なくはありません。
同じ時間乗務しているのに、運転士と車掌とでは基本給からして全く違うことが多いですからね。
腰掛の仕事ととらえて車掌を数年経験してきた人は、車掌の仕事について全く理解せずに運転士になってしまうのです。
車掌の仕事は車内へ駅名や乗換えを放送するだけではありません。
異常時には現在の状況を的確に判断して旅客に正確に伝えるのも仕事です。
ドア扱いをはじめ、異常時の非常ブレーキ(車掌弁)の操作を的確に行わなければ人命にかかわることもあります。
信号や標識類のほか、最低限乗務員室内の各スイッチやメーター類の位置などは把握しておく必要があります。
ところが最近の車掌さんは、停車駅や乗換案内などの放送にのみ一生懸命になり、決められていない放送をたくさん付け加えて独自色を出すことで悦に浸っている。
そんな気がします。
そして運転士の見習になった時に車掌の基本が分かっていないばかりに、指導員(教導・師匠など)が本当に困り果てるのですよ。
そして最低限の運転技術だけを習得して運転士になり、車掌の頃は乗務区内で小さくなっていた人が大きな態度になり、先輩の運転士から失笑を買うことが多いのです。
私は自分の経験や今までたくさんの新人運転士を見てきたうえで思うことですが
車掌の頃にどん欲に吸収しようとしていた人は、運転士になってもどん欲に吸収しようとします。
そういった人ならば、運転士見習を終えて3年もすればそこそこの運転士になっています。
ところが車掌を腰掛け程度に考えて仕事をしたり、通常の放送にだけ必死に取り組んでいたような人は、運転士見習を明けて数年経っても技術の向上はまず見る事がないですね。
車掌はただの通過点で、運転士になることがゴールである。
そんな人が本当に増えましたよ。
私より少し年下の人で、今でも車掌を続けている人がいます。
もう車掌歴は30年を超えているその人がいつも言うのですが、まだ完璧に仕事ができた事がない。
今でも反省点や気付いたことを乗務手帳に書き込むのだが、その量は減ることがない。
ちなみにこの人は車掌の見習を10数人つけてきた人です。
その人曰く
電車に特に興味を持っていない人の方が、仕事に対する心構えが良いのだ。