渡り線
渡り線とは複線など線路が並んで設置されている区間に、それぞれの線路を行き来できるように設置された分岐器で、画像のようなものを言います。
この画像は片渡り線と呼ばれるもので最もポピュラーなものですし、別に珍しいものではありませんね。
渡り線に限らず分岐器は定期的なメンテナンスが必要ですし、その構造から騒音や振動が発生しやすい場所でもあり、日常的に使用する場所以外は使用停止または分岐器自体を撤去することも多いです。
非常時に備えて渡り線を整備する会社
ずいぶん昔の記事ですが
湖西線は高架の区間が大半なことに加えて、強烈な風が頻繁に吹き下ろす場所でもあります。
近畿一円で強風が吹き荒れて他の路線ではなんとか運行できていたとしても、地形的な問題から湖西線は運転休止されることが多いです。
特急「サンダーバード」が強風のために米原経由(東海道・北陸)に運転経路を変更されることも珍しくはありません。
この記事によると、京都からの湖西線の列車は強風のための折り返しは設備の関係から堅田駅まで運転というパターンが多かったそうですが、堅田駅の2駅先の和邇駅に渡り線を設けることで堅田駅で止めていた電車を和邇駅まで運転できるように整備し、京都~和邇間での運転を実施したそうです。
JRなどでは非常時にもすぐ対応できるようにと、渡り線とともに場内信号機や出発信号機を設けています。
この場合の場内とか出発信号機は、渡り線を渡って別の線へ入れる現示を出すのか、または渡り線を渡らずにまっすぐに進む指示を現示するのかを任意で現示できる信号機です。
この信号機を設けておけば、駅の信号所または輸送指令(運転指令)等から操作卓の〝てこ〟を倒すだけで信号の現示と分岐器の転換ができますから、スムーズに異常時に対応できます。
※それ以外の部分でグタグタだと意味がないかもしれませんが…
非常時用の渡り線を撤去した会社
私が勤務していた会社でも通常は使用しないものの、非常時に使用する可能性が高い駅には渡り線を設けていましたが、先ほどのJRとはちょっと考え方が違っていました。
JRの場合は場内・出発信号機を設けることで停留場から停車場へと変更しているはずです。
ところが私が勤務していた会社では、渡り線は設けるものの場内・出発信号機は設けない所がありました。
“非常渡り”の名前で呼ばれていて、渡り線の切り替えは手動でしたし、渡り線を渡るときには係員による手信号(日中は旗、夜間は灯火)が用いられることになっていました。
信号設備は連動させていませんでしたが、それでも渡り線を設ければ定期的な点検が当然必要です。
数十年に一回使うかどうかというものに時間と労力を費やすのはどうかという考えを会社側が出してきて、多くの非常渡りは廃止されていきましたし、高架化等によって線路を付け替える際には非常渡りは設けられませんでした。
一応表向きの廃止理由は、ポイントを通過する際には騒音と振動がどうしても発生するが、そのほぼ使わない渡り線があることで近隣住民には音と振動でずっと迷惑をかけているから。
鉄道会社が最も多く利用する言い訳ですね、近隣住民のご迷惑になるためって。
本音で言えば「費用を抑えたい」それだけの理由です。
非常渡りを撤去した場所に渡り線を設置した
1995年1月に発生した阪神淡路大震災。
神戸を中心に鉄道網に甚大な被害をもたらしました。
阪神淡路大震災が発生する以前から、ある会社(〇急)でも非常渡りを順次廃止していた。
こちらでも騒音と振動対策と説明していたそうですが。
そこに阪神淡路大震災が発生。
路盤が崩壊するなど大きな被害が出で全線での運転は無理だったが、部分部分での運転を行うことに。
この部分運転の際に撤去した非常渡りの箇所(阪急 岡本駅の大阪寄り)に渡り線を再び設けて運転した。
もちろん非常渡りとしてではなく、場内・出発信号機を設けるなど連動装置として。
ただ全線での運転再開時には再び渡り線を撤去し、この駅は連動駅から停留場に戻っています。
そういえば神戸高速鉄道も非常渡りは阪神大震災後にほぼ撤去しています。
花隈駅の西代方の非常渡りも、阪神大震災時には連動化して使われていたのですが。
私が勤務していた会社も含めて、非常時の対策は無駄だとして捨てられることが多くなっている気がします。
地震や津波等の対策として避難ルートの確保は行われていますが、その後の早期の運転再開についてはそこまで考えられていない気もしますし。
騒音や費用面でクリアしなければいけない問題は多々ありますが、折り返し可能駅から次の折り返し可能駅までの間に1か所非常渡りを設けておけば、事故の際も役立つと思うのですが…