・寝台特急「紀伊」機関車衝突事故(1982年)
・西明石駅寝台特急「富士」列車脱線事故(1984年)
これらの事故の共通点をご存知ですか?
この2つの事故はともに、機関士の飲酒運転が原因となった事故です。
名古屋での事故のとき私は駅勤務でしたし、西明石の事故のときは車掌をしていました。
国鉄に勤務していれば大変だったと思うのですが、私鉄で働いていた私にとっては
「あ~あ、やっちゃった」
って感想しかなかったですね。
駅はもちろんのこと、乗務員も乗務区の助役たちも夜は当たり前のように飲んでいました。
車両課や土木課、電気課などもみんな夜は飲んでいた時代でした。
乗務区の食堂では泊まり勤務の乗務員たちが、夜9時ごろから飲み始めていました。
乗務員には予備勤務と言って、事故などの際に乗務するための人員が確保されているのですが、その人たちが夕方から“夜食”を作っていましたしね。
泊まり勤務となる乗務員の全員の分の夜食ですから、ものすごい量でしたよ。
食堂の大きな冷蔵庫には瓶ビールが大量に入っていたし、ウイスキーなどは棚に置いていましたしね。
車両課や土木課など他の部署でも夜9時を回れば、それぞれの食堂や休憩所で飲んでいました。
助役連中も早寝の者は夜10時過ぎから、遅寝の者は深夜1時ごろから飲んでいたんじゃないかな。
日勤勤務で早朝出勤すると、前の日の晩から飲み続けている運転士や車掌がいました。
「そろそろ日勤の者が出勤してくるからお開きにしてくれるか」
助役が朝になるとよく食堂で発していた言葉です。
その助役も酒臭い息をしているのですけどね。
同じように早朝出勤してくる運転士や車掌の中には、完全に出来上がった状態で家からやってくる人もいました。
乗務区でくだを巻いて他の乗務員に絡んでくる。
さすがにそんな人に電車を運転させるわけにはいかないから、予備勤務の者を代わりに乗務させていましたね。
二日酔いがひどい状態で乗務していた運転士が列車無線を入れました。
「車内の掃除の手配をしてください、場所は乗務員室です」
運転しながらゲロしちゃったんです。
私が勤務していた会社ではありませんでしたが、会社によっては会社の施設内にビールの自動販売機が設置されていたところもあったようですしね。
その後徐々に飲酒に対する認識が変わっていき、まず初めに会社施設内での飲酒を禁止にしました。
そのため乗務区近くのお好み焼き屋などへ繰り出す人が多くなりましたが。
そして会社施設内へアルコール類の持ち込みも禁止になりました。
でもまだ会社外での飲酒についての規制は何もなく、家で深酒をして酒臭い状態で出勤しても特に咎められることはありませんでした。
今ではアルコールチェックを行い、飲酒していないことが確認できなければ乗務できません。
でもアルコールチェックなんてまだ実施しだしてから10年も経過していないんですよ。
今では考えられないことなのですが、お酒を飲んで乗務することがふつうだった時代がちょっと前まであったのです。