新しい元号は令和になりましたね。
慣れるまではすごく変な感じがすると思いますが、平成っていう元号も徐々に浸透していき、気が付けば違和感を感じなくなっていました。
なので今年の年末くらいにはふつうに「令和元年」って何の抵抗もなく言えるようになっているハズですよ。
昭和64年1月7日は土曜日で、私は泊まり勤務の明けの日でした。
前の年の春に研修を終えて運転士になったので、まだ1年目の駆け出し運転士でした。
昭和天皇は前年の年末にはかなり容態が悪化していて、天皇の代替わりも近そうって雰囲気がありました。
年末に散髪に行ったときですが、店主と客とで次の元号の話題がふつうに語られていたのを覚えています。
「次の元号は〇〇らしいって聞いた」とか
「その○○っていう元号だと○○新聞そのままだから無いだろう」
でも乗務区内でその手の話をした記憶はありません。
今はそうでもないと思いますが、当時はいろいろな思想や信条を持った方が乗務員にいましたから、微妙な話は乗務区内ではしないのが暗黙のルールになっていました。
(分かる人には分かると思いますが、アカとかアオとかシロとかいろいろとね)
話を戻して
この日の乗務前に見たテレビでは昭和天皇の容態を延々と流しているテレビ局もありましたし、そろそろ本当に危ないのかなと思いました。
この時は普通列車を担当していました。
この当時の土曜日は平日ダイヤで運行されていて、世間も土曜日は平日という感覚だった時代です。(学校も土曜日は授業がありましたから)
時間はたぶん9時にはなっていなかったと思いますが、ホームのすぐ裏側に銀行があった駅がありました。
このころの銀行は第2・4土曜日は休業だったけど、他の土曜日はお昼まで窓口営業していました。
その銀行の玄関口に半旗で掲げられた日の丸が目に飛び込んできました。
ブレーキをかけながら
「昭和天皇が亡くなったんだ・・・」
さすがにこの時には「崩御」という言葉は知らなかったので、率直に“亡くなった”と思いました。
この後、駅や本社などにはかなりの“ご意見”があったそうです。
「なぜ電車に半旗を掲げないんだ!」
乗務中にも指摘される可能性があるので
「会社としては電車には掲げないが、本社をはじめ事務部門のある建物などの屋上に半旗を掲げています」
と回答するようにと指示が出たほどでした。
この指示は1週間は続いていたように記憶しています。
仕事を終えて家に帰り、風呂に入ったりしている間に新元号の発表があったようです。
繰り返し当時の小渕官房長官が「平成」と書かれた書を示す様子が報道されていました。
“昭和が終わったんだ”
“しかし平成って何だか変な元号だな”
“それにしてもテレビが昭和天皇のことばかりだな、ビデオでも借りてこようかな”
翌日の乗務区の様子ですが、特に変わったところはなかったですね。
でも日曜日なのに普段のような行楽客だったりお買い物客はほぼいなかったような。
自粛ムードの中で電車を運転した記憶が残っています。