私が車掌だったころ、車庫へ出庫作業へ行くと必ず運転士に
「はい、制動試験をやって」
と言われました。
最初のうちはブレーキ弁ハンドルを差し込んだり抜き取ったりするのも難儀しましたが、しばらくすると全然ふつうに扱えるようになっていました。
ハンドルを差し込んで止まったままの電車のブレーキを操作して、ハンドルの角度と圧力計の値が合致しているのかをチェックしていました。
※それだけではないですけどね(笑)
それが終われば起動試験です。
1ノッチを入れてすぐにオフ。
ちゃんと電車は起動するのか、ブレーキが引っかかっている感はないのかをチェックします。
ホントここまでの点検作業は車掌のころにさんざんしましたよ。
夜の回送電車の最後尾の乗務員室でノンビリくつろいでいると
「おい!すぐ前に来い!」
と運転士からインターホンで連絡が入ります。
中には車内放送で伝えてくる運転士もいました。
その指示に従って先頭車両の乗務員室へ入ると
「はい座って」
回送電車を運転するように指示されます。
「〇〇踏切の先の閉塞信号機に停車させてみよう」
なんて言われて、マジでピタッと止めてやろうって車掌時代から奮戦したものです。
当然のことですが、車掌が制動試験や起動試験を行ったり、ましてや回送列車とはいえ営業路線上の電車を運転するだなんて今の時代では考えられないことです。
でも私が車掌だった昭和の時代には、少なくとも私が所属していた乗務区ではふつうに行われていました。
私が運転士の見習として師匠の横に立った初日にも
「車掌のころにある程度運転しているから分かってるだろ?」
と、さも車掌は運転経験があって当たり前という雰囲気になっていましたよ。
国鉄(JR)とは違い私鉄では基本的に運転士と車掌は同じ乗務区に配属されて、同じ仕業表で仕事をしていました。
だから運転士と車掌とで意思疎通が図りやすい分、このような行動に出てしまうことも多かったです。