電車屋さんだったころの話 | ページ 10 | 乗務員室

乗務員室

運転士

私が運転士の見習だったころのはなし-1

私が運転士の見習だったのは昭和62年から昭和63年にかけて。 ホントに昭和の末期でした。 今回は指導運転士(教導という社局が多いのかな? このブログでは以下 師匠と記します)からの指示がほぼ無くなった、実務見習の後半の頃の話をしていきたいと...
運転士

ワンマン化や自動運転 運転士や車掌のいない列車は都市部でも

京浜東北線ワンマン検討 新車両投入 JR東 という見出しで産経新聞に記事が出ていました。 令和6年度をめどに京浜東北線に新しい車両を導入するらしく、車両の側面にカメラを設置して乗降を監視できるようにしたり自動運転装置も搭載するようで、車掌を...
車掌

私が車掌の見習だったころ

私が車掌の見習をしていたのは昭和50年代の後半。 車掌の指導員(師匠)の中には車掌経験6~7年くらいの方もいましたが、大半の方は20年以上車掌をしている方ばかり。 マジで厳しかったです。 停車位置を確認して車掌スイッチを開にする(ドアを開け...
運転士

ポイント訓練終了で駅扱いも終わったはずなのに

私は大阪市内の起点駅で出発時間になるのを乗務員室で待っていました。 私が担当する列車の2分前に優等列車が定刻に出発していきました。 その優等列車がポイントをいくつか通過していくと、線路上にたくさんいた駅の係員たちが一斉にホームに上がってきま...
車掌

車内案内表示器-2

忘れないうちに前回の続きを書いていきます。。。 最近の車内案内表示器はニュースや天気予報のデータを、1日に何回かは取得するようになっているようですね。 私が勤務していた会社の新しい車両の車内案内表示器のデータは、1日に2回決まった時間に取得...
車掌

車内案内表示器

ドアの上あたりに停車駅の案内やどちら側のドアが開くのか、走行中はニュースやコマーシャルも流れるなどどんどん多機能になっていく車内案内表示器。 私が勤務していた会社で搭載が始まったのは運転士になってからでしたが、たまに車掌業務もしていましたか...
車掌

はじめての一人での乗務(車掌)

私が車掌になったのは昭和58年の夏前でしたから、もう37年も昔のことになります。 私が勤務していた会社では、車掌の見習は学科が約1ヶ月間あり、その後に指導車掌(師匠)が担当する列車に乗せてもらう形で約1ヶ月間の実習があります。 実習期間の最...
車掌

回送列車に車掌は乗務しているの?何のために?

回送列車ってお客さんを乗せずに走行する列車ですね。 車庫から客扱いを開始する駅まで走行させたり、逆にある駅まで客扱いを行いその先は客を乗せずに走行する列車です。 車掌時代(昭和50年代)回送列車に乗務していたときなのですが、出発信号機がR(...
車掌

車掌がドアを開けずに出発

一昨日の25日のお昼前、JR成田線空港第2ビル駅で成田エクスプレス19号がドアを開けずに出発したということが配信されていました。 本来はホーム柵と車両のドアが一緒に開くはずなのに、ホーム柵だけが開いていたそうです。 私は可動式ホーム柵が設置...
運転士

白い手袋、運転士や車掌などが着用している理由

運転士や車掌といった乗務員をはじめ、ホームで業務に当たる駅員などもふつうは手袋をして作業をしています。 乗務員の場合は仕切り扉や側開き戸に手を挟んだ際に少しでもケガを軽減させるためだ、なんて車掌になったころ聞いたのですが、そんなに分厚い手袋...
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