電車屋さんだったころの話 | ページ 57 | 乗務

乗務

運転士

低速なのにブレーキがまったく効かなかった時の話

初めて担当した編成 その駅は15‰ほどの勾配のある駅でした。 でも普段はその勾配を特に意識することなく、勾配にあったブレーキをかけて電車を止めていました。 その日は朝から雨が降り続いていましたが、特に強く降るということなくシトシトと降る程度...
運転士

空転・雨や雪の日は電車は思うように走ってくれません

運転士にとって憂鬱な梅雨 今年は梅雨入りが早くすでに九州や四国が入梅していますし、西日本全体が梅雨入り間近といった感じです。 電車の運転士をしていて雨や雪の日が好きだという人は皆無でしょうね。 何せ走らず止まりにくいという最悪の状況に陥って...
車掌

乗務行路表と交番表

私鉄は車掌と運転士が同じ行路で乗務 JRと違って私鉄では運転士と車掌は同じ行路で仕事をします。 出勤してから退勤するまで、ずっと同じペアで仕事するのが定位なのです。 ※私鉄でも車掌と運転士で別行路となる会社ってあるのかな? 乗務行路表 車掌...
運転士

電車運転士の出身学校について(私がいた関西某私鉄の場合)

私は公立普通科高校卒で入社 私は公立の普通科高校を卒業後に鉄道会社に入社しました。 特に運転士に興味があったわけではなく、私鉄ならば転勤があってもそう遠くに行くことはないなと思って就職先にしました。 私が入社した時は約30名が駅や乗務員など...
運転士

視力には気を使いました

車掌になってから視力が落ちました 私が車掌になった頃の裸眼視力は両目とも1.0ありました。 でも車掌になってから徐々に視力が落ちていきました。 まだスマホどころか携帯電話も一般的ではなかった時代ですし、パソコンはNECの98シリーズがまだ全...
駅勤務

制服制帽のまま眠る人

駅にはさまざまな経歴の人が配置されています 駅で働く人はさまざまな経歴を持っている人がいました。 私のように入社してはじめて配属された人。 乗務員になることなくずっと駅勤務を続けている人。 車掌や運転士を経験して駅へ配属された人。 他の配置...
車掌

伝説の車掌‐3

過走(オーバーラン)なんて日常の出来事だった 私が車掌になったころは、所定の停止位置を行き過ぎて止まる過走の事案がごく普通にありました。 いまで言うところのオーバーランですが、私が勤務していた会社では今でも一応は規則上において ・出発信号機...
運転士

信楽高原鐡道列車衝突事故

列車の正面衝突 まだ運転士になって3年ほどの私には、全く信じられない事故だった平成3年5月14日の信楽高原鐡道の列車衝突事故。 42名が亡くなり、600名以上が重軽傷を負う大惨事でした。 JR西日本側の乗り入れ列車、臨時快速「世界陶芸祭しが...
運転士

ようやく紋日ダイヤが終了しました

紋日=休日 紋日(もんび)ってご存知でしょうか。 元々は五節句などの特に定めた日であり、吉原などの遊郭においては、この日遊女は客をとらねばならず、客も揚げ代をはずむ習慣があった。 日常と違った晴の日。年中行事や祝祭日や婚礼、葬式などの人生儀...
駅勤務

電話を貸してください

携帯電話なんてほとんど見かけない 私が駅勤務だった昭和50年代の中ごろ まだ世間では携帯電話を持っている人なんてごく少数でした。 1985年にNTTがショルダーホンを出していますが 実物を見たのは乗務員になったころ、なぜだか乗務区に1台あっ...
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