赤字ローカル線廃止反対の気持ちは分かるが感情ばかりが目立っている
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赤字ローカル線廃止反対の気持ちは分かるが感情ばかりが目立っている

あくまで個人的な意見

最近地方ローカル線の存廃問題についての記事が新聞やネットニュース上で散見されます。

ただ記事の中には廃止反対のための主張が強すぎて、飛躍しすぎているように感じるものもあります。

ここでは2022/11/10にYahoo!ニュースなどでも配信された、Merkmalの記事を見てみることにします。

 

 

地元の合意なく消えた小松島線

小松島線は阿波国共同汽船(のちの共同汽船 現廃業)が徳島~小松島間に開設した路線で、船会社が開設したことからも分かるように、小松島港を発着する船客の利便性を向上させる目的で1913年(大正2年)に開業した。

ただ開業時から国が借り上げる形で運営し、1917年には買収の上国営化。

1961年(昭和36年)には徳島~中田間が牟岐線に統合され、小松島線の起点は徳島から中田へと移り、以降国鉄最短の鉄道路線となった。

 

祖母が徳島県三好市に在住していたことから関西在住の筆者は、神戸・中突堤から共同汽船の「あきつ丸」や「おとわ丸」で小松島港へ渡り、早朝の小松島港で少し待って臨時の急行「よしの川」と乗り継いで祖母の家に行っていました。

よく乗車していた臨時急行の「よしの川」は朝5時前に出発していた記憶があります。

そういえば早朝から「竹輪売り」がホームに出ていて、親に毎回買ってもらっていました。

 

ただ1972年に「ひかりは西へ」のキャッチフレーズの元、新大阪~岡山間に山陽新幹線が開業して以降は、新幹線~宇野線~宇高航路~土讃線の乗り継ぎに変わり、小松島線はこれ以降一度も利用しませんでした。

そして1985年3月14日に地元自治体の合意なく小松島線は廃止されましたが、同じ年の6月8日に大鳴門大橋が開通。

徳島東部へ玄関口が完全に移り変わった印象を受けたものです。

 

 

小松島市の人口は1985年がピークだが

「赤字83線」という言葉をご存じでしょうか。

1968年(昭和43年)9月に使命を終えたとしてピックアップされた国鉄の83のローカル線です。

この赤字83線に小松島線も入っており、1960年代からすでに使命が終わっていると名指しされていたわけです。

営業係数は1978年度が1754、4年後1982年度は1572ですから4年の間に相当悪化していることが分かります。

Merkmalの記事によると1981年には路線変更の影響で輸送密度が1587人まで低下となっていますが、路線変更は1961年のことですから、ちょっと無理があるように感じます。

 

ここに小松島市の人口データの推移のグラフを張っておきます。

国勢調査による人口推移のグラフですので5年ごとのデータとなっていますが、1985年が人口のピークなのです。

 

次のグラフは人口増加率のグラフです。

こちらも国勢調査を基にしたデータです。

人口増加率は1975年がピークでその後緩やかに増加率が減っていき、その後はほぼ人口減の傾向が出ています。

(上記のグラフ二点はいずれも地域人口関連統計図表の収納庫さまからお借りしました)

 

人口自体は1985年までは増えているものの、小松島線の営業係数はそれ以前から減少しています。

また小松島市自体が全国平均より早く人口増加率が減少に転じていることも分かります。

小松島線の利用者数の減少と小松島市の人口減とはタイムラグがあります。

つまり小松島線の廃止によって小松島市の活気が無くなるなどとどめを刺されたのではなく、小松島線は利用者数が減少していたから廃止になっただけのことでしょう。

人口が増加していたころから小松島線利用者数は減少していた、つまりは小松島市に住む方々はそれほど小松島線を利用していなかったのではないか、という状況が見えてきた気がします。

 

1973年→1982年 小松島駅乗降客数及び定期券客数の変化
乗車165975人→78783人
降車164712人→77624人
定期券客 167182人→75447人

日本一短かった小松島線→小松島線の沿革よりお借りしたデータです。

10年弱で定期旅客まで半分以下に落ち込んでいることが分かり、小松島線は廃止以前から小松島市の方々にとって重要な路線という地位では無かったように思われます。

何せ1985年まで人口は増加していたにもかかわらず、定期利用者は右肩下がりだったのですから。

 

小松島港への就航数の減少の方が影響が大きかった

私が子供のころによく乗船した大阪~神戸・中突堤~小松島の航路は、1974年にフェリー化の上神戸への寄港がなくなった。

ただ大阪~小松島の航路として存続していたが、1993年に廃止された。

小松島港への寄港の主力は南海フェリーだったが、こちらは高速船が小松島線廃止後の11月に徳島港へと航路変更。

1999年にはフェリーも小松島から徳島へと航路を変更した。

 

元々徳島港は水深が浅いとされており、小松島港が四国東部の玄関口として栄えていたわけだが、徳島港浚渫により大型船も入港できるようになったこと、また徳島県の中心部により近いことから小松島から徳島へとシフトするのが当然だったと思う。

手元の1980年の時刻表によると小松島航路は大阪南港からの共同汽船が3往復と、和歌山港からの南海フェリーが12往復。

これに対して徳島港へは大阪天保山からの高速船が6往復。

神戸中突堤からの高速船(水中翼船?)が4往復。(神戸~鳴門間にも3往復)

大阪南港からのフェリーが3往復。

深日港からのフェリーが11往復。

神戸青木からのフェリーが5往復。

さらに大阪伊丹空港から徳島空港へ11往復の飛行機も飛んでいた。

つまり小松島線の利用者数減少は小松島港への就航数減少と他港への就航数増加が原因であり、小松島線はあくまで関西~四国東部移動の一翼だったのがその地位を失ったために廃止せざるを得ない状況になったのだと思います。

そして地域経済への影響ですが、やはり航路の減少の方が大きかったのではないか。

地域経済の低下と小松島線の重要度の低下は比例していたのではないかと思います。

 

 

ローカル線廃止は感情だけで考えるべきものではない

自分が住んでいる町から線路がはがされる

故郷から線路が消えるかもしれない

 

この感情だけでローカル線廃止に立ち上がる人が非常に多いですね。

これは何もコロナ禍によって収益が厳しい状況になり、これまでなんとか都市部の利益で補填してきたローカル線の維持が厳しくなったことで、にわかに赤字ローカル線を守れ!という声が大きくなってきた最近の現象だけを言ったものではありません。

ローカル線の多くが廃止や第三セクター化した1980年代も同じでした。

小松島線でもマイレール運動を展開したようですが、現在でも存続を危ぶまれるローカル線で似たような運動が展開されようとしています。

線路をはがすことに対して、かなりアレルギーを持つ人が多いようです。

普段は車ばかり利用し鉄道なんてまず利用しない人が先頭に立って、廃止反対運動を展開する。

 

「昭和の徳島を襲った最悪事例から考える」

Merkmalの記事は何とたいそうなタイトルを付けたのかと思いましたが、やっぱりタイトルだけでしたね。

赤字ローカル線を廃止することで町が廃れていくということを言いたかったようですが、この記事の最終盤には

「小松島線廃止の衝撃は大きかったが、それだけが町の衰退の原因でないことは確かだ」

 

地元の方が鉄道を使わないことで収支が悪くなり、鉄道を廃止してバス化するのがそんなに悪いことなのかな。

元々多くの住民は鉄道なんて使っていないのに。

そもそも鉄道の路線を廃止する以前から沿線人口の減少による町の勢いの衰退があるのに、なぜに鉄道の路線にすべての命運をかけているような記事ばかりが散乱するのかな。

自治体の首長にも言えることだけど、これまで自治体としてどれだけ鉄道を守ろうという運動をしてきたのか。

急に雲行きが悪くなってからあれこれ言いだすだなんて、政治家として先を見る力が全く備わっていないことを露呈しているだけだと思うけど。

自治体の首長にしてみれば、自分が首長を務めている間に鉄道路線の廃止が実施されれば、すべては自分のせい、その時の首長が鉄道を無くしたのだと言われかねないからにほかならないでしょ?

それを沿線住民の足の確保は重要だとか言いだしたり、JRの努力が足りないなんて言ったりするけど、それってただの選挙対策のパフォーマンスでしょ?

また地域の新聞などが報道する内容だって、赤字なんて関係がないから交通弱者のために鉄道を残せの一点張りで、完全に感情論だけで紙面を作っているし。

よく通学の足を確保するために鉄道を残せという論調を張るけど、兵庫県には大きな淡路島という島があり島内には鉄道は走っていません。

でも遠距離を自転車やバスを使って通学していますよ。

昔は淡路島から自転車でフェリーに乗って神戸方面へやってくる学生もいたけど、今はフェリーがないから高速バスを使って淡路島から神戸や明石方面に通学している生徒もたくさんいますけどね。

 

極論で言えば、赤字にならない程度にまで運賃を上げたときに、マイレール運動などを展開している人たちはずっと乗り続けることができるのか。

また運賃の一部補助を自治体が行う時、未来永劫その補助を行うことができるのか。

それが受け入れらなければバス化も仕方がないでしょ。

そもそもの話で言えば、これ先も人口減少が見込まれさらなる利用率低下は誰の目にも明らかなのに、数年後とか十数年後の対策は何か考えているのだろうか。

それとも赤字ローカル線沿線の人口を増やす奇策を自治体の首長が持っているとでも?

鉄道を無くすとか存続させることよりも、今後の地域の足をどう確保していくかをもっと真剣に考えるべきなのに、最後の最後まで感情論のみで訴えようとする。

感情論で存廃問題を左右させるようなものではないと思いますけどね。

 

ちなみに私は残せそうな路線は残してほしいですよ。

これでも長年鉄道に携わってきた身ですから。

でもすでに使命の終わった路線を延命させる意味は見いだせない。

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